天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

芭蕉七部集

 俳句の根源を知るには、やはり蕉門の作品にもどるしかない。そこで開拓された技法を整理することからその後の技を位置づけられよう。言うは易く行うは難し。ともかく芭蕉七部集を一通り読もう、と最近思い始めた。
 「冬の日」・・・貞亨元年(1684)成立。
        狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉  芭蕉
 「春の日」・・・貞亨三年(1686)刊。
        春めくや人さまざまの伊勢まいり   荷兮
 「阿羅野」・・・元禄二年(1689)刊。
        これはこれはとばかり花の芳野山   貞室
 「ひさご」・・・元禄三年(1690)刊。
        木のもとに汁も鱠も櫻かな      芭蕉
 「猿蓑」・・・・元禄四年(1691)刊。
        初しぐれ猿も小蓑をほしげ也     芭蕉
 「炭俵」・・・・元禄七年(1694)刊。
        むめがかにのつと日の出る山路かな  芭蕉
 「続猿蓑」・・・元禄十一年(1698)刊。
        八九間空で雨降る柳かな       芭蕉

七部の名称、成立年、巻頭句と作者 を書き出してみた。
 ここまで遡る気持になったのは、 昨日言及した平成十八年一月号の「俳壇」にある、「蕉門の十哲」という特集を読んだのがきっかけ。とても面白い。