鑑賞の文学 ―俳句篇(1)―
俳句の鑑賞文の歴史を見ておこう。
俳句の鑑賞文については、大正七年四月に発行された、高浜虚子『俳句は斯く解し斯く味ふ』(新潮社)が、多くの読者を得て、また出版社も増えて、版を重ねた。このように一句について鑑賞する形式が始まったのは、服部土芳『三冊子』の内の「あかさうし」であろう。連句のうちの発句について解説している。また、先師(芭蕉)の言った句の成立過程などを紹介している。二例を次に引いておく。
高水に星も旅寝や岩のうへ
此句は小町が、石の上に旅寝をすればいとさむし苔の衣を
我にかさなん、と言心を取ての句なるべし。
梅若葉鞠子の宿のとろゝ汁
此句、師のいはく、工みにて言る句にあらず。ふと言てよろし
と跡にて知たる也。かくのごとくの句は又せんとは言がたしと也。
東武におもむく人に対しての吟也。梅若葉と興じて鞠子の宿にはと
言はなして当たる一体也。
[注]『三冊子』: 芭蕉の弟子達が、芭蕉からの聞き書きをしたり、芭蕉の
考えを忖度してまとめた蕉門の俳論書。
「しろさうし」「あかさうし」「くろさうし」
の三部からなる。