レトリック3
諷喩は、ひとつの隠喩から次々に同系列の隠喩をくり出し、たとえで話を進める表現形式。おなじ系列に属する隠喩を連結して編成した言述、と定義される。和歌に例をとれば、小野小町の次の有名な歌がそうである。
わびぬれば身をうきくさのねをたえてさそふ水あらば
いなむとぞ思ふ
現代短歌では、塚本邦雄の次の有名な歌も諷喩である。
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も
天皇制と国民を象徴した歌である、という読みがある。かといって
日本脱出したし 天皇陛下も天皇陛下養育係も
と詠んでは、元も子もなくなる。どちらにリアリティがあるか、というと皇帝ペンギンの方である。喩の力によって奥行き・ふくらみが出て詩になる。いかにもありそうな事実らしきことを詠んでも、リアリティは出ないことの良い例であろう。
塚本が目指した〈魂のレアリズム〉を、魂の在り様の迫真性と定義すれば、歌の言霊によって読者の魂(精神、こころ)が、さもありなんと共鳴する、納得する場合に、リアリティがあるということになる。比喩によってイメージが喚起され魂が共鳴する。
夜桜の吹雪の中や能舞台
花影のベンチに食す握り飯
石灯籠危険とありて花吹雪