天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

下賀茂神社

下賀茂神社

 今日は日曜日だが、朝から雨。昼になっても雨。こんな日はやはり昼間からではあるが、焼酎オンザロックに限る。焼するめげそ、寿司、豚肉キムチうどんなどを肴に飲み始めた。で、今日の話題は昨日の京都うた紀行の続きと相成る。
 上賀茂神社を見た後、バスで下賀茂神社に行く。下賀茂神社は通称であり、正式には、賀茂御祖神社といい、賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)(西殿)及びその子の玉依姫(東殿)の二柱を祀る。玉依姫命御子神が、上賀茂神社に祀られていることは、先に見たとおりである。両神社には、御手洗川とならの小川が共通している。境内の糺の森は、鴨川と高野川の合流する三角州に、三、四千年前の山背原野の植生を残している。社殿の造営は、天武天皇六年(六七七)とされている。弘仁元年(八一0)には、斎院の制が定められ、皇女を斎王として三十五代約四00年間続いた。斎院の制は、上賀茂神社でも実施された。毎年五月に開催される葵祭は、王朝の文学に現れる様子を髣髴させる。他にも御蔭祭、騎射(流鏑馬)、蹴鞠、歌舞など千数百年伝承されている神事がある。
御手洗川(みたらしがわ)には、次の後撰集の和歌が掲示されている。
  君がため御手洗川を若水にむすぶや千代の初めなるらむ


また、境内の媛小松には、次の藤原敏行の歌が紹介されている。古今和歌集入選。
  ちはやぶる鴨の社のひめこ松よろずよふとも色はかはらじ


 国宝の東西本殿を持つ賀茂御祖神社世界文化遺産に指定されたが、今ちょうどそれを記念して重要文化財の大炊殿(おおいどの)が公開されている。ここは、神饌を調理する社殿である。隣接する葵の庭や御井も見ることができる。葵の庭は、第三十一代の斎王であった式子内親王の次の和歌に詠まれている。新古今和歌集入選。
  忘れめやあふいを草にひき結びかりねののべのつゆの曙


  御手洗の磐座(いはくら)石にかかる樋直澄(ただす)の森の
  主(ぬし)たりし木の


  車曳く牛の臭ひに香まじり御簾の陰なる衣擦の音
  いづれにも楢の小川のありにけり上賀茂神社賀茂神社
  婚礼の人らみちびき巫女きたる神社の庭に降る花の雨
  植生に神代の姿とどめたる直澄の森に棲む大鴉


     婚礼の順番待つも花の雨