難解歌(2)
岡井隆の難解な歌にどうアプローチするかに思い悩んでいる。回りくどいが、彼の短詩型論を参考にすることはできないか。短歌の構造に関する岡井の(初期の?)考え方を整理すると、次のようになる。先ず三十一の等時拍の音のかたまりがある。そこに様々な干渉因子が入ってきてそれを分節する。干渉因子として
①「意味のリズム」 個々の意味を持った語から構成されている。
②「句分け」 五・七・五・七・七の構造を持つ。
③「母音律」 音の列の中に特定の優勢な母音があり、全体にある
リズム的な反復を与える。
④「視覚のリズム」 漢字・ひらがな・カタカナ などのつらなり。
など。
以下で少し実験をして見よう。単純化するため、①の束縛を除外する。そして④から入る。音を感じさせない、全くの視覚パターンのリズムを試してみる。
◎☆◎◎☆◎☆◎☆◎◎☆◎☆◎◎☆◎☆◎☆◎◎☆◎☆◎◎
☆◎☆
これではリズムもなにも全く判別できない。では、これに②を適用してみよう。
◎☆◎◎☆/◎☆◎☆◎◎☆/◎☆◎◎☆/◎☆◎☆◎◎☆
/◎☆◎◎☆◎☆
やはりピンとこない。では、③を適用してみよう。
ラムララムラムラムララムラムララムラムラムララムラムララム
ラム
やはり目がチカチカする。そこに②を適用すると、次のように俄然リズムが感じられてくる。
ラムララム/ラムラムララム/ラムララム/ラムラムララム/
ラムララムラム
以上の簡単な実験から、①を除外すると、短歌を短歌らしくしている干渉因子は、先ずもって「句分け」と「母音律」であることが理解される。短歌にとって「意味のリズム」ましてや「視覚のリズム」は後天的な因子なのだ。
言葉が未発達の段階でも「句分け」と「母音律」さえはっきりしていれば、赤子でも身を揺るがせるであろう。短歌における④の「視覚のリズム」に感応できる段階は、現代においてもなお高度に洗練された読者に限られるであろう。ちょっと言い過ぎかな?!