早雲寺
俳句雑誌でだったか、亡くなった俳人の藤田湘子が、箱根湯本の早雲寺に葬られていると知って、今日はそこを訪ねた。早雲寺には何度か来ているが、ともかくメタボリックシンドロームにならないためには、出歩かねばならない。
早雲寺は箱根湯本にある臨済宗大徳寺派別格地である。大永元年(一五二一)北條早雲の遺命によりその子氏綱が建立した。開山は以天宗清、本尊は室町時代作の釈迦三尊像である。だが、豊臣秀吉が北條氏の小田原城を攻めた際に、彼の本陣になり、石垣山の一夜城が完成すると堂塔伽藍を焼き払って灰燼に帰した。後、寛永四年(一六二七)に再建された。本堂の前庭には、連歌師・飯尾宗祇の有名な句「世にふるもさらにしぐれの宿りかな」の碑が立っている。
墓地には北條五代(早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直)の墓や宗祇の供養塔などがある。藤田湘子の墓は、真新しい黒曜石で、「藤田家」とのみ彫られおり、墓碑銘には、湘子庵鷹峰宗翔居士 平成十七年四月十五日 俗名良久 七十九才 とあった。他には何も書かれていない。
足滑る暗く小さき蝉の穴
あを苔の庭に句碑あり蝉の穴
世にふりし宗祇の句碑や蝉の穴
墓地に生るヒメハルゼミの穴いくつ
早雲寺墓地をめぐればやぶ蚊かな
木漏れ陽やヒメハルゼミの生息地
東屋の屋根朽ちかけし黒揚羽
幟たつあぢさゐ橋の人力車
岩陰に囮の鮎を沈めけり
釣り下手や力失せたる囮鮎
鮎釣るを倦まず見てをり須雲川
友釣りの鮎を引き抜く川面かな
一夜城なりたる後は焼き尽くす本陣なりしここ早雲寺
連歌師と北條五代の眠る墓地黒曜石の墓あたらしき
湘子庵鷹峰宗翔居士の前湯呑ひとつと盃ふたつ
つややかな黒曜石の下に閉づ藤田湘子の七十九年
江戸を発ち駿河へまかる旅の途次飯尾宗祇はここに果てたり
枯山水香爐峰なる庭園の石に隠るる宗祇供養塔