天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人夏季集会(1)

 今日と明日は、短歌人の夏季集会。逗子の湘南国際村センターで開催される。今日は夕方からオープニングセレモニーと三枝昂之の講演である。セレモニーでは、今年の高瀬賞(新人賞)と評論賞の紹介並びに受賞者の挨拶が主体。今年は幸運にも評論賞をもらうことができた。塚本邦雄がテーマの評論であった。わが論文の表題は「言霊幻視行」。受賞の挨拶では、別の切り口として、塚本のイエス・キリストを詠んだ歌を、そこで用いた技法とともに鑑賞することがある、ただ、聖書を相当詳しく読み込んでいないと難しい、という話をした。
 三枝の講演は、『昭和短歌の精神史』番外編「短歌への接近方」という題であった。話題の中心は、土屋文明の戦中の歌を弟子の近藤芳美がどう読んだか、ということ。結論を先に書くと、戦後民主主義の価値観に左右されて、文明を戦争犯罪人ではないと擁護し、実態をずいぶん歪曲したということ。これは、『昭和短歌の精神史』には書かれなかった話である。
 三枝の話で大変印象に残ったことを次にあげておく。


*短歌が戦後、戦争を鼓舞したとか第二芸術だと蔑まれたにも関わらず
 亡びなかったのは、茂吉、迢空、白蓮 などが敗戦の民でなければ
 詠めない高貴な歌を詠んだことが、大きく寄与している。例えば、
   沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ
                     斉藤茂吉
   しみじみと泣く日来たらば泣くことを楽しみとして生きむか吾は
                     柳原白蓮
   ひのもとの大倭(ヤマト)の民も、孤独にて老い漂零(さすら)
   へむ時いたるらし            釈 迢空
                     

*戦争中に果敢に国の方針に盾ついた少数の歌人がいた。例えば、
 渡辺順三。だが、彼らが評価されないのは、良い歌がなかった
 のが最大の原因である。
吉本隆明岡井隆の論争について、当時は吉本隆明が完勝した
 と感じていた。しかし今読み直してみると反対で、岡井隆の完勝
 とわかる。当時、吉本隆明は、思想家として神様的存在であり、
 彼の論旨には皆が同調した。冷静に見ると吉本隆明の論は、
 ずいぶん断定的で無理がある。
*作品を鑑賞する場合の心構えとして、他人の読みに左右されず
 自分なりに読むことが大切。


 三枝昂之の話し方は、評論の調子と違って流暢とは言えず訥々としているが、聴衆を納得させる力があった。今夜の講演は大いにためになった!


     亀浮び手足伸ばせる西日かな
     ひぐらしの杜におみくじ見せ合へり
     鎌倉や西日を駈くる人力車
     日焼けして足ひきずるや逗子の駅