ずらし・ねじれ
短歌における上句から下句への接続状態について考える。
和歌の時代から、上句で情景を下句で心情を述べる技法があり、連歌、連句は、上句と下句をそれぞれ別の人が詠んで歌仙を楽しむという文芸である。先週のブログから例をとろう。
先ず、連歌の例。
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を
次に連句の例。
鳶の羽も刷(かいつくろい)ぬはつしぐれ 去来
一ふき風の木の葉しづまる 芭蕉
股引の朝からぬるる川こえて 凡兆
また、俳句については、一句の中で、「取り合わせ」という手法があり、ふたつの異なる事物を詠みこんで詩情を形成する。特に季語が、この内のひとつを担当することが多い。例をあげる。
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
*実景として鰯雲があり、それを見ている作者の思いや
心象を読者に委ねる。季語との間に飛躍がありすぎ、
当時の伝統派俳人は難解と断じ、楸邨は難解派と呼ばれた。
現代では、常識的な作り方である。
ちなみに、この方法を映画に持ち込んだのがロシアのエイゼンシュタインであった。一般に「モンタージュ理論」と呼ばれるようになった。
現代短歌でも、上句から下句への展開に新しい工夫がなされている。「ずらし」「ねじれ」がそうである。上句から順接するとみせて、下句で思わぬ展開、あるいは微妙なねじれを入れる手法である。
先ず、ずらしの例。
地政学的観点の盲点として銀色の軌道のループ
藤原龍一郎
*上句から下句に順接的に「として」とくるので、読者は、
当然地政学に関わることが下句にくると思うはず。だが、
何の関係か不明な「銀色の軌道のループ」がくる。
難解になる所以である。
次にねじれの例。
上州をくだる列車を待ちながら夏木にともるひぐらしのこゑ
小池 光
*読者は上句を読んできて下句にくると、アレッと主語が入れ
替わったようなねじれを感じるはず。結句に続くべき
「を聞いていた」が省略されているためである。