天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

出でよ世紀の西行(1/6)

 角川『短歌』平成十三年二月号に、刺激的な対談が載っている。現代の代表的歌人である岡井隆と詩人でもある高橋睦郎が、漂泊がないと文芸は成立しない、文芸とは本来妻帯者のものではないし、安定と対極にあるものと断じている。真の詩人は、妻帯せず、定住せず、生業を持たず、さまよい歩くという。歌人では、西行を典型とする。

 さて、現代短歌に未開のフロンティアが残されているとして、それを伐り拓く真の歌人は漂泊者なのであろうか?以下では、西行の対極にいる現代の定家、定住者・妻帯者である前衛歌人塚本邦雄を対峙させて、現代の漂泊歌人西行のあり方を考えてみたい。

 新古今集は和歌の歴史に一時代を画したが、その代表歌人西行と定家である。定家の人生は、『明月記』を読めば、現代の宮仕えのサラリーマンから見ても身につまされ、共感できることが多い。塚本邦雄も定家の系統の生活者である。

 西行塚本邦雄、それぞれが生きた時代、宗教との関わり方、歌に対する考え方、歌の素材、歌の性格などを対比させ、なにかの手懸かりが得られないか、検討してみる。

 西行は、爛熟期の平安王朝が没落し戦乱の武士の世になる様を見た。塚本は、第二次世界大戦末期海軍工廠に徴用され広島被爆を見た。西行は、出家して遁世の形をとったが、時の政権とは近しい関係にあり、和歌に政治や戦の批判を映すことはなかった。塚本は彼の歌の主題に、戦争批判を正面から取り上げた。二十代の歌を比べて見よう。

  そらになる心は春の霞にて世にあらじともおもひ立つかな

                          西行

  世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身なりけり

  革命歌作詞家によりかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

                            塚本邦雄

  戦争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために祷るも

 二十歳前後の佐藤義清(出家して西行)の生活は、宮廷の華麗な文武と共にあった。十七歳も年長の性に奔放な待賢門院璋子と密事を持ったが、思うにまかせず、親しい友人の突然の死に会うなど、直情径行の青年は俗世を見限って出家してまう。この頃の都はまだ平安の中にあったので、悲惨な戦場を見たわけではない。出家しても直ぐには山中に隠遁するでなく、都を離れ難くいたところが、いかにも西行らしい。ところで、彼の生涯の経済的支援は、佐藤一族の紀伊國那賀郡田中荘からなされたのではないかと想像される。漂泊の一生だったが、食うに困ったという話が全くない。待賢門院璋子が出家するのと期を同じくするがごとく、西行陸奥の国に旅立つ。奥州には、佐藤氏遠戚の藤原一族が栄華を誇っていた。

  陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆる壷の碑そとの浜風

  なみだをば衣河にぞながしけるふるき都をおもひいでつつ

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西行