天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

最後の公認仇討

左:早雲像、右:菊花展

 今日は、箱根で大名行列がある。以前に一度見に行ったことがある。また見に行こうと小田原まで来たが、小田急の箱根行き切符売り場の人の縦列を見て怖気づいた。やめて、北村透谷の墓がある高長寺にゆく。小田原駅西口には、北條早雲の立派な銅像がある。今日はじめて気づいた。
 北村透谷は、明治期の詩人、評論家。小田原の旧藩医の家に生れた。自由律長詩《楚囚之詩》、劇詩《蓬菜曲》、評論として《内部生命論》《厭世詩家と女性》などがあり、初期浪漫主義運動の指導書になったという。二十六歳の若さで自殺した。
 また曹洞宗・高長寺には、日本で最後の公認仇討を成し遂げた浅田兄弟の兄、鐵蔵の墓がある。兄弟が仇討の旅に出た際に身につけたという頭陀袋、鎖入り襷また刀が小田原城天守閣に展示されている。ついでにそれも見に行った。境内では、文化の日恒例の菊花展が開催されていた。


     小田原や銀杏もみぢの少年院
     懸崖の滝となだるる菊の花


  透谷の墓のちかくに見出せり浅田兄弟仇討の墓碑
  藩主より免許状得て成りしとふ仇討由来の墓碑銘を読む
  九州まで敵(かたき)もとむる長旅の浅田兄弟水戸の仇討
  十二歳二十一歳兄弟の仇討知らす江戸瓦版
  夕食の敵の家に踏み込めり本懐とげし二尺三寸
  弟の老いたる遺影の前にあり本懐とげし二尺三寸
  頭陀袋、鎖入り襷もくさまくら長き旅路の浅田兄弟