土屋文明の「道」5
今回で終わりになる。文明が一生のうちに詠んだ歌とはいえ、なんとも多くの「道」が出てくる。そしてなかなか佳い作品も。
さだかならぬ屋上の山を見さけつつただ従ひき石見の海の道
女亀山さして谷の道深く見ゆ君が山の杣木めぐりて出づといふ
山中越え新に道を造りつつ住みつぐ人の養鶏場見ゆ
道芝の実のつきまとふ跡どころ秋かすむ水海に何をかなしむ
見おろしの山の下には集る川並ぶ道の上とどまるものなし
人麿より幾かはりせし道なりや行くに人なき八十くまの道
新しき道の平らかに直なるを何に寄りゆく谷かげの道
都野の海のいさごの道よ記憶ありや人麿の足跡斉藤茂吉の足跡
阿波の道を行きて室戸を見むとせしも君安芸にあればと思ふ企て
輪王寺まゐり道の円仁産湯の井今日は三毳(みかも)の盥窪は見ず
雨の道を曲げて友等を我はひそかに室(むろ)の八島を心思ひて
芽ぶき始めしつつじの枝の雨雫道濡れぬ間にめぐり終へたり
道造り除け難き大石残りたりき行き来に立ちて見渡すところ
学校へ日々の通ひのその道も立ちし少女も石さへもなし
この道にやうやく歩む汝なりき立ち変るとも道は行くべく
来り見るすぎにし跡のここにありや幼きを伴ひし堰沿ひの道
定まらぬ心にこの道の行き来にて或る時は立ち寄りき植木習ふと
楢処女(ならをとめ)匂ふ山の辺の道のうへ君は語らず吾が想像す
あまた度君とは行きき山の辺の中の道の一日秋のひかりに
入間路の長き堤の春草の萌えの盛りに逢へる今日かな
名も知らずまた見ることもなく過ぎぬ彼の道の上の春のひと花
道の上の笑(ゑ)まひは幻咲く花は今の現に手のうへにあり
近江路はいづくもあれど蚊屋野の奥かしをしみ靡く丘越えゆきき
終りましし聞きて走りし夜の道一つ思ひ出づる草の葉もなく
三十五年すぎて今日行く道は白く谷も丘もただ新しき住宅
この路は我に七十年の古き友きほひ来るのはみんな若造
身構へるわけでもないが立ち避ける路上刺殺はとなりの麻布
拙く生きいよいよ気弱なる老一人なほ四五年の道づれ頼まむ
藤原定家についても、全和歌の中から「道」を含む歌を抜き出すと似たような数になる。