天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

地福寺

藤村夫妻の墓

 梅が咲き始めるといくつかの有名な梅林と共に大磯の地福寺を思ってしまう。真言宗の寺だが、庭の梅の木の下に島崎藤村夫妻が眠っている。藤村の故郷は木曾の馬籠なので、そこにも墓所はあるが、実際の遺骨は地福寺にある。遺骨を故郷に返せ、いや返さないで もめていると聞いたが、泉下の藤村夫妻は迷惑しているであろう。
 旧島崎藤村邸の枝折戸を入ると、奥の座敷で来客を告げるチャイムがかすかに鳴った。書斎の庭に回ると首からカードをぶら下げた初老の男性の管理人が現れた。この前きたときは女性であったので、当番が決まっているのだろう。
 地福寺の墓所でも藤村邸に至る路地でも加藤姓を多く見かけたので、管理人に大磯には加藤姓が多いのか聞いて見たが、そうではないという。藤村夫人の静子さんは、川越の加藤家から嫁いできたとのこと。ここ藤村邸は静子夫人の親戚の加藤家が継承し、管理は大磯町が担当しているようである。
 メタボリックシンドロウム予防のため、藤村邸を出た後、湘南平を巡った。


      大磯や梅咲く下の夫婦墓
      開け放つ障子の書斎水仙
      啼き交はすカケスかしまし谷戸の春
      
  地福寺の梅咲く庭に横たはる永久の眠りの藤村夫妻
  観光の資源となるかふるさとの村が欲する藤村の骨
  雪ふかきふるさとの地を厭ひけむ老の身を吹く湘南の風
  玄関の三和土にそろふ下駄見れば島崎藤村生けるがごとし
  一足の下駄そろへたる玄関の奥をのぞけば案内人くる
  『東方の門』を書きつつ逝きしとふ書斎の縁に腰掛くわれは
  別荘を買ひて住まひし大磯に骨をうづめし藤村夫
  ふるさとの絆厭はし大磯に骨をうづめし藤村夫妻
  うら若き妻に看取られ逝きにけり戦火にとほき大磯の村