天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

革新的俳句と時事俳句

 「俳句研究」2月号で、小林恭二永田耕衣の作品を解説している。
俳句文法に造反しながらも句柄を大きくしていき、革新的名品を
産んだ、という評価である。名品を3句挙げる。


     死蛍の照らしをかける蛍かな
     *「照らしをかける」という措辞が秀逸。


     少年や六十年後の春の如し
     *「六十年後」をどう解釈するか。自分の六十年後か、
      この国の六十年後か。


     空蝉にかき付かれたる寂しさよ
     *まことに言い得て妙。実感として理解できる。


 この雑誌で、仁平 勝が「床屋談義お断り」と題して、時事俳句
の在り方を論じている。重要な指摘である。槍玉に上がっているのは
次ぎの例句。

     顔のない戦争またも初日の出  鳴戸奈菜


「顔のない戦争」という新聞やテレビでおなじみの言葉を使った
ところがダメなのだ。インターネットで検索しても1000件は
出てくるという。
 仁平は時事俳句が全て良くないといっているのではない。
自分なりの発見なり当事者としての言葉使いがないと価値がない、
と断じる。
「初日の出」との取り合せが評価できないか、と思っても
インパクトがなく、おなじみの言葉で幻滅してしまうのだ。