天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

古句の解釈

鶏頭

 名古屋への日帰り出張の車内で、だいぶ前に読みかけて放っておいた柴田宵曲『古句を観る』を読んだ。夏の項の途中だったが、そこを飛ばして秋の項から続けた。以前にもふれたと思うが、俳諧の鑑賞には、独特の言葉の使い方・省略の方法さらに漢詩文の素養が必要である。漢詩文の素養はおいておき、解釈の仕方の例を以下にいくつかあげておこう。


    桐苗の三葉ある内の一葉かな    知方
    * 桐の苗木に葉が三枚ついている。そのうちの一葉が
     ぱさりと落ちた。まさか、と思うが、そのように理解
     するらしい。


    きりぎりす秋の夜腹をさすりけり  青亜
    * 腹をさすったのはきりぎりすか? そんなことはない。
     きりぎりすで切れるのだから、腹をさすったのは作者
     である。


    田へかかる風のにほひや天の川   河菱
    * 天の川がかかる夜歩いていたら、風のにおいで田んぼ
     の近くに来たことがわかった、というのだ。


    垣ごしや菊より出て長噺し     旦藁
    * 「菊より出て」とは? 菊の花の手入れをしている
     人が、そこを離れて知り人と垣根越しに長話をしている
     情景である。菊の精が長話をしているように理解するのは、
     行き過ぎである。


 春日井市郊外で見かけた稲田の情景から、今日の一句を。


    夕光の斑として下りる稲雀