天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌人たちの鎌倉8

水穂、光子夫妻の歌碑

 太田水穂は、昭和九年に扇ガ谷に山荘を建て、十四年に妻の四賀光子と共に居を移して没年まで住んだ。水穂は昭和三十年に七十九歳で、また光子は昭和五十一年に九十一歳で亡くなっている。


  白王の牡丹の花の底ひより湧きあがりくる
  潮の音きこゆ         水穂
                         
  流らふる大悲の海に呼ばふ声時をへだてて
  なほたしかなり        光子
                    

 光子のこの歌の歌碑が、東慶寺本堂入口の右側にある。夫妻は同寺の墓地に眠っている。「水穂居士」と書かれた一つの墓石の両側に次のようなそれぞれの歌碑がある。


  何ことを待つへきなら志何ことも
  かつがつおもふ程は遂げしに   水穂


  九十年          光子
   生き来し
     われか
  目つむれば
   遠汐さゐの
     音ぞきこゆる