天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

観音崎灯台(2)

浦賀水道

 灯台の庭には、ふたつの句碑が立っている。


     霧いかに深くとも嵐強くとも   虚子

昭和23年秋、高浜虚子がここを訪れて詠んだ句。


     汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな  橙青

初代海上保安庁長官・大久保武雄氏が昭和43年に詠んだ句。
 この灯台の沿革は、次のように説明されている。


   海難防止のため慶応2年5月(1856年)、
   米英、仏、蘭の4カ国との間に結ばれた江戸条約に
   基づいて明治2年1月1日に我国最初の洋式灯台
   この地に点灯されました。現在の灯台は3代目のものです。
   (横須賀製鉄所首長フランス人ウェルニーの設計で
   明治元年9月18日起工式明治2年1月1日完成点灯、
   レンガ造り、光輝1750燭光、光達距離14カイリ)


なお、現在持ち歩いて読んでいる宗田安正『昭和名句集を読む』の高野素十の項に、昭和十一年頃の作に次の句があることを知った。

      鞦韆や燈台守の垣のうち     高野素十

どこの灯台のことかを調べてはいないが、当時の灯台守の生活がうかがえる。