短詩形の滞空時間
月刊誌「歌壇」で現在連載中の記事に小塩卓哉の「名歌のメカニズム」がある。表題に違わず大変興味ある内容で、毎回楽しみにしている。2月号では、永田和宏の「滞空時間の長い歌―和語・漢語そしてひらがな」を紹介している。名歌には、滞空時間の長いものが多いこと、それには和語とひらがなの使い方がポイントになること など。
例をあげておく。先ず、高野公彦の歌から。
血の出口あらぬ重たきししむらを夜の湯に
しづめをり外は雪
なきがらのほとりに重きわがからだ置きどころなく
歩くなりけり
あきかぜの中のきりんを見て立てばああ我といふ
暗きかたまり
次に会津八一。
すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の
ひま にも すめる あき の そら かな
佐佐木信綱の名歌では、
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
そして釈 迢空の名歌。
人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり。旅寝かさなるほどの
かそけさ
耶蘇タンジヤウエ誕生会の宵に こぞり来るモノ魔の声。
少くも猫はわがコブラ腓吸ふ
記号短歌にも通じる。加藤治郎では、
言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!! ラン!
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
ところで、短歌の半分の語数しかない俳句についても滞空時間が大切。切れがあるので短いと思うかも知れないが、良い作品はやはり滞空時間が長い。切れで生ずる余白が大いなる抒情を孕むのだ。今読んでいる長谷川櫂著『国民的俳句百選』講談社 から最初の五句をあげておく。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
十六夜はわづかに闇の初哉 芭蕉
菊つくり得たれば人の初老かな 幸田露伴
松茸や都にちかき山の形 惟然
雁(かりがね)や残るものみな美しき 石田波郷