泉 鏡花の俳句
泉 鏡花は、生地の石川県から明治23年に上京、尾崎紅葉のところに玄関番として3年間寄宿しながら、紅葉に師事した小説家である。「高野聖」や「婦系図」は、特に有名。師匠の紅葉は俳句でも、紫吟社を立てて活動したが、鏡花もそこに所属して俳句にも精進した。俳句においても鏡花らしさが現れて、妖艶な作品が見られる。
以下では、特に難解な句の例をあげてみたい。
爪紅の雪を染めたる若葉かな
* 猿蓑に「わぎもこが爪紅残す雪まろげ 探丸」があるが、
これを踏まえて本歌取りだろう。爪紅は、指の爪に塗る紅、
あるいは鳳仙花(秋の季語)のこと。探丸の句では、前者を
指すが、鏡花の句では、後者を指すように思える。
鈴つけて桜の声をきく夜かな
* 鈴はどこにつけたのか? 鈴の音と桜の声とが混ざっているの
だろうか? 鈴が邪魔に感じられるのだが。
うすものの蛍を透す蛍かな
* うすものは、紗や絽の類、またそれで作った夏用の衣服。
そこに蛍の絵が染めてあって、その衣の向こうに生き物の蛍が
透けて見える、ということか?
わが恋は人とる沼の花菖蒲
* 「人とる沼」とは、人を呑み込む沼、人が溺れたことのある沼
であろうか。そこには花菖蒲が咲いている。
自分の恋は、清楚だが危険な状態にある、と解釈すればよいの
だろうか?
十六夜やたづねし人は水神に
* たまたま十六夜に訪ねた人は、水神になっていた? 水の事故
で亡くなっていた?
助六を夜寒の狸おもへらく
* 助六は歌舞伎の主人公。寒い夜に狸(作者)が助六のことを
思っている?
打ちみだれ片乳白き砧かな
* 木や石の台に布をのせて槌で打ちたたきやわらげることが、
「砧打ち」。その結果の衣の片方の乳のあたりが白くなって
いる、ということか? 女の打ち方が、みだれたためなのだ。
何故乱れたのかを想像させるところにポイントがある。
京に入りて市の鯨を見たりけり
* まさか京都の市場に大きな鯨がそのまま売られていたわけ
ではなかろう。市場で鯨肉が売られていた、ということに
すぎないのに、このように表現されるとビックリしてしまう。
山茶花に此の熱燗の恥かしき
* 山茶花は、冬に咲くツバキ科の常緑小高木だが、それを見
つつ酌む熱燗を恥ずかしく思うとは? 清楚な山茶花を前に、
熱燗で酔っている自分を恥じている? 普通にはなんとも
贅沢な気分のはずだが。
右上の画像は、次のHTMLから引用した。
[泉鏡花自筆年譜]http://www2s.biglobe.ne.jp/~ant/nenpu.html