天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

非日常の歌

絵画「ペルセフォネの帰還」

 短歌に詠む題材には、様々のものがある。近代以降は、写実主義を重視するところから、実体験や日常生活を元にしている。ところが、テレビ、インターネット、ゲーム機、3D映像などが普及している今日、バーチャルな体験を歌にする傾向が現れている。典型例として、つい最近でた小池光の歌集『山鳩集』の中のGoogle Earth一連がある。四首だけあげよう。

  まさしくもツインタワー跡地の台形が画面いつぱいに嵌まり
  たりけり
  ローマ上空五00メートル コロツセオ 若く息づく鮑(あはび)
  のごとし
  仮想旅人われはおもはずキリマンジャロの山頂に豹の死体を探す
  これこそはまさしく寧辺(ニヨンビヨン)核施設 冷却塔の影おち
  てゐる


 ところで水原茜さん(「短歌人」所属)の歌集『ペルセフォネの帰還』には、ギリシャ神話の主人公が出て来る歌がある。最新の映像技術とは何の関係もないが、非日常の題材を取りあげている点で興味がある。例えば次のような作品。

  アルカディアの森駈けめぐるアルテミスかたくななるも颯爽として
  葦笛を鳴らすパンに遭ふやうな谿の日暮れをせかれてくだる
  迷走ののちの春なりペルセフォネの帰還をまねてみどりをまかむ
  黄金の雨ともなれるゼウスならその変身を羨しみてをり


 小池作品に比べて、水原作品はかなり難しい題材を取りあげている。何故か? 小池さんの題材であるGoogle Earthは、衛星写真で撮った現実の情景から三次元映像が復元されている。一方、水原さんの題材であるギリシャ神話は、文字通り現実味が皆無である。歌でリアリティを出すことの困難度に差があることは明らかだろう。


[注]右上の絵は、フレデリック・レイトン作「ペルセフォネの帰還」。
   その写真ファイルをパブリック・ドメインから引いた。