天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(15)―

「現代俳句」角川選書

     水洟や鼻の先だけ暮れ残る    芥川龍之介


山本健吉死の前になってこの句を思い出すことが多く、たびたび短冊などに書いたものという。・・・次第に「動物力を失っている」自分を意識した彼にとって、鼻はただ一つ取り残されたものという感じがつきまとっていたかもしれぬ。・・・水洟を点じた鼻の先だけが光って暮れ残っているという意識は、だからまさに「自嘲」そのものである。鼻だけが動物のごとく生きて水洟を垂らしているという無気味な自画像を描き出したのである。鼻に托して、冷静に自己を客観し、戯画化した句であり、恐ろしい句である。彼の生涯の句の絶唱と言うべきであろう。
飯田龍太・・・この句からは、すでに孤愁を見つめる生命の在りかさえ失われている。・・・「ぼんやりした不安」と、龍之介自身詳しい説明を避けた、あるいは、説明し得なかった得体の知れない死の導きを、この水洟の光りの中に、まざまざと見るおもいがする。・・・
辞世のこの作品は、不幸を不幸としてきびしく見つめた、一世の天才にふさわしい絶吟ということが出来よう。