天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(18)―

本阿弥書店刊

  雪ひと日積みたるのみに街川は常なく深き
  水音のする       時本和子『遠景』


 著者の時本さんは、入門時から森岡貞香について短歌を学び、この歌集を校正中に森岡貞香が亡くなったという。現在は、結社「短歌人」に所属する。短歌暦は、二十年になろうというベテランである。
 小池 光さんが、次のような帯文を書いている。
「時本和子さんの歌は、目のつけどころ耳のおきどころがとてもユニークで、日常茶飯の中からしばしば思いもかけない光景が出現をする。まぎれなく森岡貞香の水脈に湧く泉だ。」
まことに当を得た評であり、歌集を読むとまさにこのような印象を受ける。掲出の歌がそのよい例である。歌集には、共感をよぶ家族詠も多い。夫婦と二人の子供(姉弟)の四人家族であるらしい。子供が拘る言葉を詠んだ楽しい歌の例をあげよう。


  生き物が動かぬさまを「カタマツテル」とこの子は
  言ひきベランダの亀を


  やるせないとはどういふことかとたづねくる十三歳の
  夏の入り口


  林檎を食べてみてはと言ひやるに「みて、何なの」と
  問ひ詰めてくる


  沈み込む気持ちを息子の言ひ草で凹(へこ)むと言へば
  すこしやはらぐ


 なお、森岡貞香の水脈が感じられるのは、字余りの歌がかなり多い点と息子を詠んだ感情の類似点であろう。


  母われにやさしきごとし体臭といふほどもなき息子は
  十六歳