『蓬莱橋』にみる父、母の歌
5月21日初版発行ということで、伊東一如さん(青森県出身、「短歌人」所属)の出たばかりの歌集『蓬莱橋』(六花書林)を読んだ。このブログで、父、母を詠むシリーズの時期と重なったせいか、伊東さんが詠んだ多くの父母の作品に惹かれた。ここでは、それぞれの例をあげてこの歌集のひとつの特徴を紹介したい。歌数から分かるように、母への思いが一層つよい。
父を詠んだ歌は、歌集に15首(4.4%)ほどある。内5首を次にあげる。
父のいふ「これは根雪になるだらう」われ耳ざとく聞きてよろこぶ
父の声もの言ひ価値観体臭にもの食らふ所作すべて厭へり
とりあへず百二十歳を目標に結果百歳(ひやく)まで生きんと笑みき
百までを生きんと言ひてひと月も経たず逝きたり七十九にて
凡庸を恥づることなく歎くなくそを楽しみて逝きし人かな
母を詠んだ歌は、歌集に30首(8.8%)ほどある。内10首を次にあげる。
霜焼の足を浸けよと大釜に滾(たぎ)る湯を汲みくるる母の背
雪のなか小さき家に母の灯のともるをみればわれ駈けだしぬ
横浜から嫁ぎし母の婚礼でうたはれたるは「弥三郎節」
ゴミ袋を買はざる母は「捨てるものにお金を払ふなんて・・・・」といへり
捨てたはずの中学時代の地図帳が母の遺品のなかより出で来
冬の川でわが襁褓をば洗ひたる指のあかぎれ老いてなほ割る
くづほれし骨にわづかにししむらのはりつくだけの母となりたり
母に告げし最後の花の名前ゆゑわれの記憶の園に咲きをり
大切につかひ来たりしこの扇子 亡母(はは)が「一如」と書きてくれたる
死ぬことが救ひと母はおもひしかただ呻きゐしあの頃の母
歌集『蓬莱橋』(全341首)の特徴には他に、一字空け、リフレイン、ひらがなや漢字の表記、多様なルビ、外国語・カタカナ語 などがある。また書籍の校閲を職とすることから詠まれた作品も興味深い。
歌集を読み終わっての第一の感想は、歌集名の蓬莱橋が印象的ということであった。一如さんが亡きご両親に会えそうな場所に感じられた。