天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

清水

奥吉野にて

 清水は湧き出る場所により、山清水、岩清水、野中の清水などある。井戸と組み合わせて「岩井の清水」と言えば、井戸として囲った岩間の清水であり、「板井の清水」は、板で囲った井戸の清水のことである。


     春雨の木下につたふ清水かな    芭蕉


  山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
                  万葉集高市皇子
  いにしへの野中の清水ぬるけれど本の心を知る人ぞ汲む
                  古今集・よみ人しらず
  君が代に逢坂山の岩清水木隠れたりと思ひけるかな
                  古今集・壬生忠峯
  我が門の板井の清水里遠み人し汲まねば水草生ひにけり
                  古今集・作者未詳
  道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
                  新古今集西行
  真清水の細き流れは居ながらも手をひたすらになつかしげなる
                      大隈言道
  めぐりたる岩の片かげ暗くして湧き清水ひとつ日暮れのごとし
                      宮 柊二


[注]芭蕉の句は、「笈の小文」(1687年)にあるもので、西行
  と伝えられる次の歌を踏まえるという。
    とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまいかな
  この歌は、西行の歌集「山家集」「聞書集」「聞書残集」の
  いずれにも載っていない。西行の「とくとくの清水」について、
  芭蕉自身は「のざらし紀行」(1685年)に次のように書き残している。


    西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計りわけ
    入るほど、柴人のかよふ道のみわづかに有りて、さがしき
    谷をへだてたる、いとたふとし。彼のとくとくの清水は昔
    にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ちける。
         露とくとく心みに浮世すすがばや
    若し是れ扶桑に伯夷あらば、必ず口をすすがん。もし是れ
    許由に告げば耳をあらはむ。


  奥吉野の西行庵跡を訪ねるとその手前数十メートルの場所に
  右上の画像のような「とくとくの清水」がある(2006年5月撮影)。
  まことに僅かな山水にすぎない。