天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(21)―

小学館

     あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風
                 芭蕉〈おくのほそ道〉元禄二年


[虚子]     ・・・「日はつれなくも」という言葉など、これが他の人の言葉であるとあるいは厭味を感ずるかも知れないのであるが、・・・そういう境遇に身を置いた芭蕉であるとすると、その言葉に権威があってしかも真実が籠っていて、その厭味は感ぜられないのである。・・・人によって句の価値を二、三にする・・・俳句にはそういう傾は実際あるのである。・・・作者を離して俳句を考えることの出来ない場合は決して少くはないのである。


[誓子]     ・・・(「あかあかと」に)「明々と」を当てることはできないだろうか。それならば必ずしも夕日に限ることはなく、日中の太陽となり、明るいその太陽はつれなくもさりげなく照っているのである。そういう太陽を秋風がひややかに吹いて通る。さような解ができないものだろうか。できたら、この芭蕉の太陽はいままでになかった新しい太陽となる。(だが、芭蕉自身は、北枝に問われて、夕日に秋風の情景である、と答えている。)
・・・この句は
   須磨は暮れ明石の方はあかあかと日はつれなくも秋風ぞ吹く
という古歌に助けられていると言われている。・・・


[楸邨]     ・・・真蹟懐紙その他の前書でも明らかなごとく、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今集藤原敏行)が踏まえられている。
(・・・正岡子規は「已に此歌(須磨は暮れ明石の方はあかあかと日はつれなくも秋風ぞ吹く)あれば、芭蕉は之を剽窃したるにすぎず・・・」・・・という子規の批判も紹介している。)


正岡子規の指摘(芭蕉の句は古歌の剽窃)は、まことにもっともである。芭蕉の時代には、俳句の内容を漢詩や和歌からとってくることが、教養のみせどころとされていたので、剽窃という問題意識は薄かったのかも。虚子、誓子、楸邨いずれも芭蕉のこの句を評価しているのは、元の和歌より核心をついてよほど印象深いからであろう。残暑の太陽は容赦なく輝いているが、秋風を感じる、ということでは、楸邨の解釈が分りやすい。