天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(31)―

「獅子座」7月号

 歌人の高松秀明さん(「獅子座」編集人)は、「短歌人」の大先輩である。ただ私が入会した時には、すでに退会されていた。季刊の「獅子座」を、短歌人会の平野久美子さんから時々頂いている。今年7月号の〈作品鑑賞〉は、小中英之歌集『翼鏡』で「獅子座」のメンバーが好みの作品を選んで鑑賞する形式。
そして、高松さん自身の大作「北国街道ひとり歩き」が始まった。「中山道ひとり歩き」が昨秋完了したばかりなのに、大変なことだろう。この一連は紀行文というか旅行記録というか、風景、神社仏閣、歌碑・句碑、井戸、道祖神 など様々のものが写真に撮られ詳細に報告されている。
「北国街道ひとり歩き(その一)」に際して詠まれた「家苞(いへづと)」十三首から、三首を以下に紹介しよう。


  ふたたびのわが帰去来の旅なればいへづととせむ春の街道
  よろめける一瞬ありて杖に頼(よ)るいづくの方ゆ花影はよぶ
  苦しみに耐へてひとりの道をゆく北国街道 花は野に散る


 高松さんは、今年で76歳ほどになられたと思うが、実に精力的な行動である。羨ましい。