天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

井伊直弼の和歌

彦根城にて

 井伊直弼は、文化12年(1815年)10月29日、第13代藩主・井伊直中の十四男として彦根城の二の丸で生まれた。母は井伊直中の側室であった。兄弟が多かった上に庶子であったこともあり、17歳から32歳までの15年間を、300俵捨扶持の部屋住みとして、丸尾末町の屋敷・埋木舎(うもれぎのや)で世捨て人のように過ごした。この間に茶道、和歌、鼓、禅、槍術、居合術などを熱心に学んだ。風流に生きる姿から茶歌鼓(チャカポン)とあだ名された。和歌は歌集『柳廼四附』を編纂するほどに多くを詠んだ。


  あふみの海磯うつ浪のいく度か御世にこころをくだきぬるかな
  朝夕に馴れて楽しく聞くものは窓の内なる松風の声
  そよと吹く風になびきてすなほなるすがたをうつす岸の青柳
  窓近く咲き乱るるや萩の花やさしく垂れて鹿子の錦
  茶の湯とて何か求めんいさぎよき心の水をともにこそ汲め
  春の夜の月はお本路廼影ながらさだかににほふ軒のうめが枝
  いつか又寝覚もすらん此人のねむりそめたるむかし志らねば
  そのかみの煙と共に消えもせでつれなく立てる松ぞわびしき
  空にすむ影ならなくにいかなれば心の月をあふぐ布袋ぞ
  百敷のうちにかがやく月影のあだし国までくもらぬやなそ
  ならははやしらぬ雲井は余所にして常にしたたる庭の柳に
  かすかなる野辺のすすきの行末や月見るために生やしぬらん
  あこがれて音をやもら須とほととぎす月にあま夜に寝らりざりけり
  さやかなる月みるよはもなかなかにくまある薄あはれなりけり
  みな人の雲に心をうつすかな水に浮める月を見ずして
  世の中をよそに見つつも埋木の埋れておらむ心なき身は
  鴬の来なかぬ春のうらみさへ わすれて今日の初音うれしき
  手折つる柳の糸のいとゝしく貴身が御もとをしとふ頃かな  
  けふきゝてまたいつかもと菊の花きくにおとるときみのみるらん
  柴の戸のしばしと云いてもろともにいざ語らはん埋火のもと
  春あさみ野中の清水氷居てそこのこころをくむ人そなき
  咲きかけしたけき心のひと房は散りての後ぞ世に匂ひける
  元旦緩々芝の戸のしばしと云ひてもろともにいざ語らはん埋火
  のもと