鑑賞の文学 ―俳句篇(34)―
高浜虚子に拠れば、俳体詩とは「連句を変化さした一新詩体を創めて見るのも善からうと思ふと漱石子にいふと、漱石子は、それは善からう、俳体詩とでもいふものか、といはれしより」生まれたものであるという。実は既に与謝蕪村の「春風馬堤曲」がラディカルな俳体詩であった。やぶ入りの少女が淀川の毛馬(けま)堤を家郷へたどる様を、発句体,絶句体,漢文訓読体と雑多な短詩形を交互に18首連ねて描いたものである。
漱石も俳体詩をかなりの数作っている。漢文こそ入れていないが、蕪村によく似た作品もある。例えば「離別」。9句からなるが、以下に引用する。
いふなかれ長き別れと
束の間も長きは別れ
水落ちて鮎渋びぬるを
眉落す月こそ憂けれ
舞ふべくも袖短くて
わがねたる柳ちりぢり
盃に泡また消えて
酒の味苦きか今宵
詩成れども唱へかたし