天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『マラケシュ心中』を読み終えて

講談社文庫

 熱海への探梅行の往き帰りで読み終えた本であるが、これは中山可穂著のレスビアン小説。女性歌人たちのレズというところに惹かれて、アマゾンに注文した。読み終って落胆した。短歌がほとんど無く生かされていないのである。出ている短歌といえば、次の五首。

  くちびるに火薬を詰めてくちづけを交わせしのちに少女は自爆す
  踏みはずせ計算するなおそれるなひるむなそつと唇を出せ  
  閉じ込めし想ひは深くなりながら百年生きねばならぬ恋  
  教会に光あまねくさんざめく神よあなたは貞淑ですか
  いちめんの俯く向日葵さりげなく死は足元に搦(から)まるものを


韻律は悪いし、旧仮名遣いに間違いがある。設定の主人公は歌集五冊を出して売れっ子の緒川絢彦というペンネームの女流歌人。これでは短歌を知っている読者は納得しない。作者の中山可穂は短歌をどこまで学んだのだろう。比較するのは酷かもしれないが、少年たちの恋愛(男色)を詠んだ黒瀬珂瀾の作品を四首、次にあげておく。黒瀬は中山より17歳若い男性歌人

  鶸(ひは)のごと青年が銜へし茱萸を舌にて奪ふさらに奪はむ
  僕たちは月より細く光りつつ死ぬ、と誰かが呟く真昼
  懐かしき死に会ふごとく少年は闇夜の熱き腕に抱かれ
  眼には海、空には雨月、寝台には頸青き少年二人の夜会(ソワレ)


短歌を取り入れたレズ小説なら、現代版の伊勢物語を試みてほしい。