天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『青き大氷河』

六花書林刊

 「短歌人」同人・染宮千鶴子さんの第三歌集が出た。Glacier Blueというルビがついている。
 次の歌から見てゆこう。


  できぬことできるやうになる日日を残してくれし
   それで良いですか


夫の死後に私に残された日々。それは夫と生活していた時代にはなかなかできなかったことにチャレンジしてできるようにと、夫が私に残してくれた日々なのだと思う。「そうですよね、それで良いですか、あなた。」という自分の納得をあの世の夫に話しかける相聞歌と解釈したい。
次のような作品もある。

  公園のさくら今年も咲きました 仏間の障子すこし開けおく
  信州の鯉の旨煮のあぢはひを解せぬままに夫は逝きたり
  ひとり旅ひとりにあらず遺されし煙草くゆらす夏の忌はきて
  蒼空に旋回をせるコンドルよ逝きたる人の在り処をつげよ


世の男性諸氏は胸が詰まるのではないか。
 以下では短歌の構造上の観点から特徴を見ておく。
 一首がある事柄について述べているのではなく、上句の内容と下句の内容が無関係に詠まれている場合は、一般的には難解な作品になる。何故そういう転換になったのか、背景を忖度するのは、読者には困難だからである。鑑賞する上では、単純に詩の場面展開として理解すればよい。


(1) 一字空け: この歌集には、一首の中の転換点が一字空けで示唆
    されている構造の作品が目立つ。読者には分り易い。

  滑らかに首の振れない扇風機 遺産分割協議書あふる
  古代人の住居跡なる地下通路 いま妖精が走りぬけしよ
  花も木も芽吹く兆しのわが庭に四度目の季なり ひと還り来ず
  左肩きしみ始めて六ケ月 剪定はさみの的さだまらぬ


    
(2) 一字空けをしていない構造: 通常の短歌はこれである。上句と
    下句の内容がかけ離れているほど難解になるが、染宮作品は理解
    しやすい。

  柿の実は色づきはじむゆるゆると夫亡きのちもわれは生きをり
  やうやうに耳は癒えたりシバ神によりそふ妻の像に手触れつ
  さりげなくわれは観察されてをり晴雨兼用の傘贈らるる
  火の通る一歩手前にガスを止むひとつのことを決めかねてをり