天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

一字空けの歌

横浜市中央図書館にて

 先日、このブログのある読者から、ブログで紹介した次の永田紅の歌につき、三句と四句の間に一字空けがあったように思うが、との御質問があった。


  思いきることと思いを切ることの立葵までそばにいさせて
                     永田紅


この歌の載っている歌集『北部キャンパスの日々』を持っていないので、手元の角川『現代短歌集成』や小高 賢編著『現代の歌人一四0』を見て引用したのであった。両方ともに一字空けはない。ただ、ご指摘のように一字空けがあっても良さそうに思えるので、短歌人の数人のメンバーが知っているのでは、と思い問い合わせてみた。誰も永田紅の歌集を持っておられず、不明のままであった。ただ川井さんが、横浜市立図書館にあると教えて下さった。古本屋で購入しようかとネットで値段をみたらなんと八千円以上とあった。さすがに手が出ない。それで横浜市の図書館にネットで仮登録し、最寄りの戸塚図書館に出向いて正式にメンバー登録の上で、検索したところ、横浜市中央図書館にあることが分った。それでさっそく桜木町の中央図書館に出向いて、永田紅のくだんの歌集を確認した。やはり一字空けはなかった。ただ、一字空けがあっても良さそうなので、この歌集で他の例を探してみた。あった! 次の歌である。


  自分ではなくその人を見ることの 湯が沸くまではガスの音する
                      永田紅


先の歌と実に構造がよく似ている。三句と四句の間に一字空けがある。
 このように歌の構造によっては、もしや、と気になると調べずにはいられなくなることがある。
ところで、『北部キャンパスの日々』の作品は、紅さんの母上の河野裕子さんの語り口に、実によく似ている、と感じた。