天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学―短歌編(39)―

ふらんす堂刊

 小池光さんの『石川啄木の百首』(ふらんす堂)がやっと手に入った。アマゾンで探したら、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」とのメッセージがあった。直接ふらんす堂に発注する手もあったのだが、アマゾンだと送料無料になるので、入手時期未定のままで注文した。本が届いたのは、一週間後くらいであった。
 小池光さんの歌にも文章にも独特の味わいがあり、ファンが多いので、本は発売と同時に直に品切れになる。急ぐ人は発行元に注文するのが最善策である。
 さっそく読み始めた。啄木の歌は、昔、国語の教科書で見たし、短歌を作り始めてからは、殆んどに目を通していたので、小池さんがとりあげた百首はみな馴染みの作品である。それが小池さんの鑑賞によって、みごとに生気を帯び名歌になる。一般に、俳句にせよ短歌にせよ、名鑑賞によって名句、名歌になるのである。
 小池さんは、斎藤茂吉作品の鑑賞の達人だが、今回は石川啄木についてどこまで私を驚かせてくれるか、大いに楽しみにしていた。百首を選ぶところから、小池さんの手腕が現れている。鑑賞には短歌を作る要諦もさりげなく示されているので、はっとさせられる。
 この本により石川啄木がまた脚光を浴びることになるのではないか。