雨のうた(9)
「雨の色」は詩語である。雨に様々の色があるわけではない。透明でなく本当になんらかの色がついているとしたら、深刻な大気汚染を意味しており、大問題になる。俳句の季語に「つちふる」があるが、これは三月から五月かけて、中国北西部やモンゴルで発生する黄砂が偏西風に乗って日本にも飛来し、砂塵となって降る現象である。この時期の雨は土の色がついている。二首目の歌は、もちろん、こうした気象現象を詠っているわけでなく、雨の色などと書く心情を心配しているのである。
一身の外側ただに雨降るとぬきさしならず思ふことあり
安永蕗子
雨の日の雨の色など書きよこす短き手紙にこころ揺れをり
大塚陽子
昼冷えて雨通りゆく図書館に這ふ蔦の葉はあまねく青し
篠 弘
限りなく熟れて緊張感のある梨の畑に午後の雨降る
戸田佳子
雨宿りせんとてのれん分ける手がその雨筋の二三本も分く
浜田康敬
雨の日はこもりゐるのみ杖もたば傘さすことの叶はざるゆゑ
木俣 修
花一つ一つは雨に揺れながら満ちて静けし山の桜は
毛利文平
雨すぎて微光はなてるとほき森いまはどの地にも戦ひあらぬ
米田 登