雲のうた(7)
遣新羅使は、倭国が新羅に派遣した使節。特に668年以降の統一新羅に対して派遣されたものをいう。779年を最後に正規の遣新羅使は停止された。万葉集には、遣新羅使の歌が合わせて145首載っている。あとの四首は防人の歌である。防人に行く人達の出身地氏姓ははっきり分っていた。
あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも
遣新羅使『万葉集』
我妹子(わぎもこ)を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家
つくらしも 遣新羅使『万葉集』
外(よそ)にのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに
武射郡上丁丈部山代『万葉集』
難波門を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく
梁田郡上丁大田部三成『万葉集』
大君の命畏み青雲の棚引く山を越よて来のかむ
小長谷部笠麿『万葉集』
我が行(ゆき)の息衝(づ)くしかば足柄の峰延(は)ほ雲を見とと偲はね
都筑郡上丁服部於田『万葉集』
この最後の歌は、家族を残して行く武蔵国の都筑郡(今の横浜市保土ヶ谷区・旭区・緑区あたり)の服部於由という人が詠んだもので、その意味は、「私が行ってしまうのが、ため息が出るほどつらいのだったら、足柄の峰を這う雲を見て思い出して欲しい。」という切ないもの。
[注]右上の画像は、web「雲の種類と名前」 http://asukainfo.com/kumo
から借用した。