雲のうた(14)―芭蕉―
西行を慕う芭蕉は、西行の旅の跡をたどって陸奥も歩いた。『奥の細道』の序文の中に、「・・予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、・・」とあるように、旅の空にあこがれた。それで芭蕉の俳句(発句)に、雲がかなり詠まれているのでは、と期待して全句(976句)に当ってみたが、驚いたことに以下にあげるように、わずか15句しかない。
雲を根に富士は杉なりの茂かな
百(ひやく)里(り)来たりほどは雲井の下涼(したすずみ)
行雲(ゆくくも)や犬の欠尿(かけばり)むらしぐれ
雲霧の暫時百景をつくしけり
花の雲鐘は上野か浅草歟(か)
一(ひと)尾根(をね)はしぐるる雲かふじのゆき
京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲
あの雲は稲妻を待(まつ)たより哉
雲の峰幾つ崩(くづれ)て月の山
�疝(つる)の毛の黒き衣や花の雲
六月や峯に雲置くあらし山
湖やあつさをおしむ雲のみね
閃々(ひらひら)と挙(あぐ)るあふぎやくものみね
此(この)秋は何で年よる雲に鳥
日にかかる雲やしばしのわたりどり
西行が和歌に詠んだ花と雲、雲と雁などの取合せは、俳句では、「花の雲」とか「雲に鳥」とかに簡略化されている。注意すべきは、「雲に鳥」は季語でなく、芭蕉の感懐である。春の季語に「鳥雲に」があるので紛らわしい。こちらは春になって北へ帰る鳥を意味している。
なお二句目の「雲井」(雲居の当て字)は、西行が盛んに使った言葉である。