天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

相聞歌―時代と表現―(4/5)

河野裕子

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現代短歌における典型的なあるいは理想的な相聞の例を河野裕子永田和宏の場合に見ることができる。二人は河野の死期を予想できたので、河野の晩期の二人の相聞歌は真に胸に迫るものとなった。
河野裕子永田和宏は、周知のように夫婦であり、二人ともよく知られた歌人である。河野が亡くなったのを機に、『たとえば君―四十年の恋歌』が出版された。但し、文藝春秋出版局の担当者が編集にあたったという。歌を作ったのはそれぞれ別々の時期であり、相手に答える形で詠ったわけではないのだろうが、それぞれの歌集から時期を考慮して対応する歌を選んで相聞歌の対を読者が想定することが実に容易である。この本のエッセイの部分が、個々の歌の背景を物語っているが、それを参考に相聞歌の対にしてみる。便宜上、初期、中期、晩期として各一対ずつあげる。文語と口語の使い分けが巧み。
       告白
  あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年
                       永田和宏
       返し
  ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり
                       河野裕子
       思い出
  自意識に苦しみゐし頃わが歩幅考へず君は足早なりき
                       河野裕子
       返し
  君が歩幅を考えず歩きいたる頃せっぱつまりしように恋いいし
                       永田和宏
       怖れ
  歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
                       永田和宏
       返し
わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へど
なぐさめがたし                河野裕子


特に永田の一首目の口語歌は相聞の心情をみごとに表現している。