天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

コミック短歌(12/12)

思潮社より

あとがき
文語短歌が、晴の場面に適する、雄大な自然を格調高く詠いあげる、高邁な志を熱く詠う、漢語・漢字がなじみやすい といった特長を持つことに対して、口語短歌には、以下のような特徴がある。褻の場面に適する。〈私〉にまつわる日常の感情、考えをさりげなく詠える。俗語、流行語、女性語、片言、幼児語、方言、会話体がなじみやすい。生活詠、社会詠では、皮肉なあるいはニヒルな調子を容易に出せる。格調を求めるのは無理。生な〈私〉が出てきやすい。下世話な内容になりやすい。相聞歌には、文語よりもリアリティが出せる。文語短歌の本歌取りあるいは掛詞に代って、テレビやコミックのチャッチコピーやギャグを取り入れやすい。生の一回性をより強く印象づけられる。
穂村弘は、最近の口語短歌は、「私」の想いに対して余りにも等身大の棒立ちの作品や、定型意識の共有性や共通資産としての技法といった短歌の「枠組み」を省みない武装解除した作品が目立つと指摘する。
ところで高橋睦郎は、文語短歌ながら歌芯を堅持しつつ新たな開拓を試みている。それは枕詞の創出である。(歌集『爾比麻久良』。新枕の意)一例をあげると、
  へすぺりあ夕べの国のイタリア伊太利に棲まむと思ふひたひ額夕映え
「へすぺりあ」は、Hesperia(夕べの国)で、イタリアとスペインを意味する。高橋は、これを新しい枕詞にした。
口語短歌の歌芯熔融やツイッター化を避けるためにも文芸作品としてのレベルを保つためにも、伝統技法(枕詞、掛詞、本歌取りなど)の新しい展開を期待したい。