天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

神を詠む(3/9)

  竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ
                    古今集兼覧王
  かすが野に若葉つみつつ万代をいはふ心は神ぞしるらむ
                     古今集・素性
  千早ぶる神のきりけむつくからに千年の坂も越えぬべらなり
                     古今集遍昭
  神垣のみむろの山の榊葉はかみのみ前にしげりあひにけり
                 古今集・神あそびの歌
  このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに
                   古今集菅原道真
  恋せじと御手洗(みたらし)川(がわ)にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも
                  古今集・読人しらず
  天の川なはしろ水にせきくだせあまくだります神ならばかみ
                     金葉集・能因

 

 一首目: 「 竜田姫が手向けをする神がいるから、秋の木の葉が幣のように散るのだろう。」
 三首目: この歌の理解には、詞書が必要。それは「仁和のみかどの、みこにおはしましける時に、御をばの八十の賀にしろがねを杖につくれりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける」。
それで歌の意味は「この杖は神様が切り出したものでしょうか、ついて歩けばたちまち千歳の坂さえ越えられるに違いありません。」となる。
 五首目: 手向山は、奈良市東部に位置する紅葉の名所として知られ、麓に手向山八幡宮が鎮座する。東大寺の東、お水取りで有名な二月堂と並んでいる。「このたびは」の「たび」は「度」と「旅」の両方にかかる。「神のまにまに」は、「神の思うままに」という意味。
全体の意味は、「このたびの旅は 幣を捧げることもなかなかできません お供えする山の 錦のように美しい紅葉を代わりに捧げますので 神さまのお心のままにお受けとりください。」
 六首目: 恋はすまいと、みそぎをしたのに、神はこの誓いを受け取ってくださらなかった。だってこんなにも恋心は募っていくのだから。
 七首目: 「神よ、神様ならば天の川の堰を切って苗代田に水を落としたまえ。」という意味。

 

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手向山(webから)