天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

夢を詠う(6)

蜘蛛の巣

  憂き事のまどろむほどは忘られてさむれば夢の心地こそすれ
                   千載集・読人しらず
  橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする
                  新古今集藤原俊成女
  かたしきの袖の氷もむすぼほれとけて寝ぬ夜の夢ぞみじかき
                   新古今集・藤原良経
  駿河なる宇都の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
                   新古今集在原業平
  夢や夢現や夢とわかぬかないかなる世にか覚めむとすらむ
                   新古今集赤染衛門
  いかにねて見えしなるらむ仮寝(うたたね)の夢より後はものをこそおもへ
                   新古今集赤染衛門
  なれし秋のふけし夜床はそれながら心のそこの夢ぞかなしき
                   新古今集・藤原実家
  蜘蛛(ささがに)のいとかかりける身のほどをおもへば夢のここちこそすれ
                   新古今集・源 俊頼


一首目は実は讃岐に流罪になった崇徳院の歌である。夢にもまさる現実の悲惨さを詠んでいる。在原業平の歌では、下句が言いたいことで上句は序詞・掛詞。
赤染衛門は、平安中期の女流歌人。歌の才能は和泉式部と並び称され、『拾遺集』以下の勅撰集に 70首あまり入集している。ここにあげた二首は、現代の我々の共感を呼ぶものであろう。
藤原実家の歌は特異な情景に思われる。「忍びて物申しける女身まかりて後、その家にとまりてよみ侍りける」の詞書がある。亡くなった女との多くの思い出のあるむかしの部屋を見る。そこには思い出の女がいないという悲しみである。