夢を詠う(9)
なみだ河身もうきぬべき寝覚かなはかなき夢の名残ばかりに
新古今集・寂蓮
ぬる夢に現のうさも忘られて思ひなぐさむほどぞはかなき
新古今集・女御徴子女王
現をも現とさらに思へねば夢をも夢と何かおもはん
山家集・西行
古も夢になりにし事なれば柴のあみ戸のひさしからじな
平家物語・建礼門院
嘆きわびぬる玉の緒のよひよひは思ひもたえぬ夢もはかなし
新勅撰集・藤原雅経
夢にだに通ひし中は絶えはてぬ見しやその夜のままの継橋
続後撰集・藤原実氏
思ふかたにみえつる夢を懐かしみ今日はながめてわれ恋ひまさる
玉葉集・藤原為兼
今朝よなは怪しく変るながめかないかなる夢のいかが見えつる
風雅集・進子内親王
徴子(よしこ)女王は、平安時代中期の皇族、歌人で三十六歌仙の1人。朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。この歌は、現実の憂さが夢で慰められることのはかなさを詠んでいる。生きることの哀しさを感じさせる。
建礼門院は、平清盛の娘であり、安徳天皇の母。壇ノ浦の戦いで安徳天皇と共に入水したが、助けられ落飾して真如覚と号した。のち大原寂光院に閑居して仏に仕えた。
この歌の心は、大原のわび住まいも長くはないであろう(もうすぐ死ぬであろう)、という。
藤原実氏の歌にある「ままの継橋」は、万葉集をはじめ勅撰集などに昔から多く詠まれた歌枕。千葉県市川市にかつて存在した橋で、現在は右上の画像に示すような記念物がある。真間周辺にはこの継橋をはじめ、手児奈の奥津城(墓)、真間の井など、万葉集に詠まれた旧跡が多い。
進子内親王は南北朝時代の伏見天皇の皇女。京極派の歌人で、風雅和歌集以下の勅撰集に43首入集。この歌の「今朝よな」の「よな」は助詞の「よ」と「な」が付いたもので、感動や念押しを表す。