匂い・匂うの歌(6/8)
木の花の散るに梢を見あげたりその花のにほひかすかにするも
木下利玄
峡ふかき宿駅(まや)に兵とまり馬にほひ革の匂ひの満ちにけるかも
中村憲吉
利鎌(とがま)もて刈らるともよし君が背の小草(をぐさ)のかずに
せめてにほはむ 山川登美子
川芎(せんきゆう)の葉を揉めば発(た)つ薬の香この香は知れり母の
にほひなり 植松寿樹
広土間に入りて吹き消す提灯(ちやうちん)の蝋のにほひをときの
間(ま)嗅ぎつ 植松寿樹
いつまでも稚き妻のかなしみに焚火のにほひする顔を抱く
金石淳彦
売れ残る夕刊の上石置けり雨の匂ひの立つ宵にして
近藤芳美
耳のうら接吻すれば匂ひたる少女なりしより過ぎし十年
近藤芳美
匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく
万の短夜(みじかよ) 岡井 隆
木下利玄は、東大在学中に佐佐木信綱に師事し短歌を学び始めた。歌風は初め官能的、感傷的であったが、窪田空穂や島木赤彦らに影響を受け、口語や俗語を使用し平易で写実的なものに変った。しかし肺結核にかかり、39歳の若さで没した。
山川登美子の歌は、与謝野鉄幹への恋心を詠んだものであろう。意に添わぬ結婚をして、夫には早く死なれ、自身もわずか三十歳の生涯を終えている。夫の結核に感染したことが原因であった。
四首目の川芎は、中国原産のセリ科の多年草。秋,枝先に複散形花序を出し白色の小花をつける。漢方では、根茎を湯通しして乾燥したものを鎮静・鎮痛剤とする。