天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

甲斐の谺(11/13)

角川書店より

(2)同一季語の句の響き合い
蛇笏・龍太父子の同じ季語を含んだ俳句を対比させて、響き合いを楽しんでみよう。予め断っておくが、龍太の句が、先行する蛇笏の句を意識して作られたかどうかは不明であり、組合せは筆者が恣意的に行ったということ。連句にはならないが、その味わいは感じられる。龍太よりも先に蛇笏の作品が出来ているので、その順に並べてあるが、鑑賞における時間の流れは全く自由である。
  ひぐらしの鳴く音にはづす轡(くつわ)かな   蛇笏『山廬集』
  ひぐらしの声肌に泌む浴後の子         龍太『童眸』
仕事を終えた父は馬を連れて家に帰ってきた。近くの林で鳴く蜩の声を聞きながら馬から轡をはずしている。風呂からあがったばかりの裸の子供の肌に蜩の声が泌むようだ。
  落葉ふんで人道念(だうねん)を全うす     蛇笏『山廬集』
  手が見えて父が落葉の山歩く         龍太『麓の人』
父・蛇笏は落葉の山道を歩きながら郷土にあって俳句の道を究める覚悟を噛みしめている。その姿を家の裏庭から息子・龍太が見かけたのだ。
  炭売の娘(こ)のあつき手に触りけり      蛇笏『山廬集』
  炭売女朝かがやきて里に出づ        龍太『百戸の谿』
朝、山奥から里に出て来た元気な炭売女は、若い娘。買った炭の代金を払う際に触れたその娘の手はほてってあついほどだったよ。
  なきがらや秋風かよふ鼻の穴         蛇笏『山廬集』
  燭はいま祈りの在り処秋の風         龍太『山の影』
死者が横たえられた居間にはわずかに秋風が吹いて、死者の鼻の穴にもかよっている。枕元に点っている灯火が揺れて祈りを深くしているようだ。
  をりとりてはらりとおもきすすきかな     蛇笏『山廬集』
  老医師に磧芒のなびく道           龍太『麓の人』
農家への往診を終えた老医師が川沿いの道を帰ってゆく。彼はついと磧芒を一筋折りとった。はらりと垂れた芒の穂には意外な重さが感じられた。
  鼈(すつぽん)をくびきる夏のうす刃かな     蛇笏『霊芝』
  肉鍋に男の指も器用な夏            龍太『童眸』
暑い夏を元気に乗り切るために鼈鍋にするところ。先ず鼈の首をうす刃の包丁で落す。肉を切り分けて皿に盛った。男は野菜と肉を器用な手つきで鍋に入れている。