月の詩情(8/12)
人生の諸局面に現れる月
ここでは飯田蛇笏の生涯のいくつかの局面で詠まれた月の俳句を中心に、月の詩情を鑑賞してみたい。
蛇笏は山梨県東八代郡五成村(のち境川村、現笛吹市境川町小黒坂)の大地主の農家に生まれた。ここが終生の定住地であった。住まいを山盧と名付けた。故郷の月の情景を詠んだ俳句から見てゆこう。
□故郷の月
ある夜月に富士大形(たいぎやう)の寒さかな 『山盧集』
富士吉田から仰ぎ見た富士という自註がある。蛇笏の故郷・甲府盆地から見る裏富士は
近く大きく眼前に迫る。月光故に寒さも一入である。蛇笏この時二十九歳。
月影に種井(たなゐ)ひまなくながれけり 『山盧集』
種蒔用の籾を俵などに入れて数週間水につけておく池が「種井」である。夜分にその水流を
眺める蛇笏の姿勢に、農事への敬虔さが読みとれる。月影の効果である。
河鹿なきおそ月滝をてらしけり 『心像』
遅く空にのぼった月が滝のかかる渓流を照らしている。その岩の間でアオガエル科の河鹿が
美しい声で鳴いている。光と音の情景。
寒の月白炎曳いて山をいづ 『家郷の霧』
故郷の山里にあって山稜を出る凄艶な月を活写した。蛇笏の身の内の昂りを反映している
ようだ。「白炎曳いて」からは、雪山を想像する。
風の吹く弓張月に春祭 『椿花集』
弓張月は弦月(上弦あるいは下弦)の別称。まだ寒さが残り緊張のある夜の春祭とよく
照合する。
藪喬木(やぶたかぎ)鴉がとびて山に月 『椿花集』
最晩年の作。闇をなす藪喬木の静寂を破って真っ黒な鴉がとび立った。中川宗淵老師は
「寂滅現前に動くものあり」との絶妙な評をつけた。