天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

与謝野晶子展

与謝野晶子展の紹介

横浜から「みなと未来線」に乗り、元町・中華街駅で下車、神奈川近代文学館を訪れた。久しぶりのことで、道順に迷うほどであった。特別展「与謝野晶子展」(3月17日〜5月13日)を見るためであった。(入場券を短歌人会の伊東一如さんから頂いていた。)
この展示で驚いたのは、資料の膨大さ・緻密さであった。昔の8ミリフィルムで撮った映像をビデオに起こし、新鮮な動画に再現されていたので、与謝野晶子が現代に生きているかのように見えた。歌集の多さ、手紙やはがきの実物、膨大なカット写真 等々 いちいち読んでいては、とても時間が足りない。そのうちに疲れてうんざりしてしまった。与謝野晶子の生涯の重さがじかに迫ってきたからであった。ただ一つ思いがけなかったのは、写真でみる限り彼女は美人ではなかった、むしろダサイ感じの重苦しい女性であった、ということ。外見ではなく12名もの子供を産み育てた生命力と文学的才能が一世を風靡したのである。


     バス待てば花のまひ散る朝かな


  やりとりの手紙葉書の残されて交際篤きをうかがはせたり
  面長の黒髪おもき立ち姿笑み忘れたる晶子の写真
  あまたなる資料出したる晶子展見るに疲れて辟易とせり
  それぞれの資料を読みて遅れたる妻を急かせて展示をめぐる