天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

松の根っこ(12/15)

流燈

吟行
   少年を枝にとまらせ春待つ木
昭和三十六年、新宿御苑吟行の際の作。木に意志があって、枝に少年を座らせて春を待っているというイメージが秀逸。擬人法で見事に決まった。
   流燈の夜も顔つけて印刻む
市川流燈会六句(昭和三十六年)の初めの句。老人らしきはんこ屋の主は、流燈会に加わるでもなく印鑑を刻んでいる寂しい情景。取り合わせの効果が出ている。続いて
   花火滅亡す七星ひややかに
   遠雲の雷火に呼ばれ流燈達
   流燈の列消しすすみ死の黒船
   流燈の天愚かなる大花火
   流燈の列へ拡声器の濁み声
花火の一瞬の命を恒久的な北斗七星がひややかに見ている、遠くの雲に走る稲光が流燈を呼んでいる、などという把握。また、死の黒船とか、流燈に対して愚かな大花火とする主観が三鬼らしいところ。終わりの句は、心静かに精霊を燈に載せて送り出したいしめやかな儀式のはずが、周辺整理担当の猥雑な声が拡声されて響くこの俗世間。雅と俗を衝突させた。
 三鬼は様々な句会や俳句大会に参加して、日本各地に旅行しているので、ここで取上げたのはほんの一例にすぎない。ただ、全句集を通覧してみて感じるのは、いわゆる吟行に行ってまとめて作った俳句には、量の割に佳句が少ない印象である。