富士のうた(2/5)
ふじのねの絶えぬおもひもある物をくゆるはつらき
心なりけり 大和物語・藤原実頼
ときしらぬ山は富士のねいつとてか鹿の子斑に雪の
ふるらむ 新古今集・在原業平
ふじのねの煙もなほぞ立ちのぼる上なきものはおもひ
なりけり 新古今集・藤原家隆
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬわが
思ひかな 新古今集・西行
富士のねを二十ばかりはかさぬとも麓にや見むわが恋の山
細川幽斎
時のまにたなびき消えて富士のねは雲こそ山の姿なりけれ
中院通村
ふじのねにのぼりて見れば天地(あめつち)はまだいくほども
わかれざりけり 下河辺長流
不二のねは山の君にて高みくら空にかけたる雪のきぬがさ
契沖
富士山の噴煙を詠んだ和歌は、西行にも見られる。当時は見慣れた富士の姿であった。
藤原実頼の歌: 私は噴煙の絶えない富士山のように熱くあなたを思っているのに、あなたは煙がくすぶる程度のはっきりしない心をもっていらっしゃる、と嘆く。
西行の歌は、彼が第一の自讃歌にしたという。
中院通村(なかのいんみちむら)は、江戸時代前期の公卿。古今伝授を受けた歌人として評価が高く、世尊寺流の能書家としても著名。舅の細川幽斎に劣らぬ教養人であった。
下河辺長流は江戸時代前期の歌人・和学者。木下長嘯子に私淑し、俳諧連歌の祖西山宗因に連歌を学んだ。歌からは富士山に登って下界を見下ろしたように思えるが、本当だろうか?