仏像を詠む(3/4)
西の衆は怖しといひし人ありぬ水掛不動に聞いてみなはれ
奥田清和
青黒の不動明王炎眼に我をみすゑて引き裂きたまへ
河出朋久
八百年よくぞ保てる摩崖仏撫づれば砂が掌につく
青木久佳
秋深きつゆのひびきに思はずもどうと落ちたる摩崖仏頭
馬場あき子
海にきて夢違(ゆめちがへ)観音かなしけれとほきうなさかに
帆柱は立ち 前登志夫
夢違観音夢にあらはれて手首の継目を示したまへり
葛原妙子
回し見る歓喜天の絵に人間の脂が付きてうす曇るなり
森岡千賀子
春(はる)疾風(はやて)吹き入る堂の薄闇に歓喜天のみ歓喜したまふ
塚本邦雄
歓喜天みにくき四肢を夢にみつ六腑疲れて夏に入るらむ
山中智恵子
一首目の水掛不動は、大阪千日前の法善寺のものであろう。
三首目の摩崖仏は、そそり立つ岩壁や露岩あるいは転石に造立された仏像を指す。そのため移動することはできない。
五首目の夢違観音は、法隆寺大宝蔵殿に安置されている国宝の観音菩薩立像と関係があるようには思えない。作者自身の比喩か。六首目も夢に現れたものなので、法隆寺のものと直接の関係はなさそう。
歓喜天とは、象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿が多いが、稀に人頭人身の像も見られる。男天・女天2体の立像が向き合って抱擁しているものが通例で、夫婦和合・子宝の神として信仰される。多くは秘仏として、公開されることは少ない。