天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

墓を詠む(7/8)

三年坂

  五条坂三年坂より二年坂母の墓への坂暮れゆけり
                      高田和子
  陽も射ささぬ小暗き道を栗の毬(いが)踏みて詣でぬ
  実方(さねかた)の墓           神作光一


  野の花の添ふ君が墓額づきて四十年後の心を供ふ
                      沢口芙美
  思ひ出が悲しといって一年も母を墓場に訪はずにをった
                      青山霞村
  墓碑銘を書くうつしみのけふの日のひとすぢのいのり
  汝(なれ)も知るべし           木俣 修


  この島に薺(なづな)の花が咲いてゐる兵隊の墓標と同じ高さで
                      中野嘉一
  父四十八、兄三十三、二十四 墓誌を濡らして降るこぬか雨
                      大下一真
  霊園に働くは老夕ぐれて竹の箒にすがりたまへな
                     福田たの子


高田和子の詠む母の墓は、京都東山にあるのだろう。三つの坂をたどって行き着く。ちなみに三年坂は産寧坂とも書く。
二首目の実方の墓は、宮城県名取市愛島塩手にある。藤原実方中古三十六歌仙の一人であり、歌道に秀でた人物であったが、歌のことで藤原行成と口論となり、行成の冠を奪い投げ捨ててしまった。それを見咎め一条天皇は「歌枕を見て参れ」と実方に命じて陸奥守に左遷した。実方はこの陸奥国で不慮の事故により生涯を終える。