天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

甲斐の谺(5/13)

角川書店より

(2)や、かな、けり
俳句制作の初期段階では、古典的な切れ字「や」「かな」「けり」を使用することが多い。特に伝統俳句においてはそうである。この傾向を蛇笏と龍太について定量的に分析してみた。二人の全句集を対象にした。即ち、蛇笏については『山廬集』、『霊芝』、『山響(こだま)集』、『白嶽』、『心像』、『春蘭』、『雪峡』、『家郷の霧』、『椿花集』 の九句集(六四八一句)。龍太については『定本・百戸の谿』、『童眸』、『麓の人』、『忘音』、『春の道』、『山の木』、『涼夜』、『今昔』、『山の影』、『遅速』の十句集(三三四八句)。いずれも刊行順即ち年代順である。
「や」「かな」「けり」の三切れ字合せた使用頻度を全句集につき調べてみると、蛇笏においては三八・六%、龍太においては八・一%であった。これは蛇笏が近代の俳人であり、龍太が現代の俳人であることから頷ける。即ち龍太の作句活動は戦後であり、近代俳句からの脱皮を図る運動が俳壇全体に起っていた。その方策の一端であったと解釈できる。ただ、龍太は古典的切れ字を排除するほど急進的でなく、情況に応じて柔軟に用いた。
句集毎に当然頻度は異なるが、いずれも処女句集において頻度が最も高い。蛇笏『山廬集』で八七・0%、龍太『定本・百戸の谿』で一七・九%となっている。ちなみに最も使用頻度の少ない句集は、蛇笏では『家郷の霧』で八・五%、龍太では『春の道』で三・七%だった。二人に共通している傾向であるが、三つの切れ字について使用頻度の多い順にあげると、「かな」「や」「けり」となっている。