天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

月の詩情(9/12)

山盧養魚池

□家庭生活の窺える句
     埋(うづみ)火(び)に妻や花月の情にぶし   『山盧集』
 大正四年の作。夫人・菊乃の教養を軽蔑するような険しい内容だが、
 蛇笏の身勝手な思い込み である。なお、夫人(四男・龍太の母)
 は、亡くなる前日、龍太を病床に呼んで、「私には文 芸のこと
 などなにもわからない、おとうさんになんの手助けもできなかった、
 それだけが心残りだ」とおっしゃったという。なんとも哀切!
     葱洗ふや月ほのぼのと深雪竹        『山盧集』
  大正八年の作。子息の龍太の随筆に「南アルプスの山々にうっすらと新雪が来ると、
 葱は美味しくなる。山地の葱に一団と風味が出る。」とある。月の効果が絶妙!
     新月に牧笛をふくわらべかな        『山盧集』
  昭和三年の作。この年に蛇笏の五人の息子たちの内で「わらべ」と呼べる年頃は、
 五男・五夫(五歳)のことであろう。新月の見える庭先で牧笛を吹いているのだ。
     嬰児だいてさきはひはずむ初月夜       『心像』
 昭和十九年「嬰兒賦」六句の内。孫(長男・聡一郎の長女・公子)のこと。この時、聡一郎は
 遠く戦地の満蒙にいた。初月夜は陰暦八月初めごろの月夜を差す。哀しい!
     養魚池の水月を吹く山おろし         『雪峡』
 水面に映る月と山から吹き下ろす風を詠んだ。昭和二十三年作。山盧の裏には渓流から水を
 引いた二十坪弱の池(山廬養魚池)があり、真鯉、ヤマメ、虹鱒、ハヤなどを飼っていた。
     軒菖蒲うす目の月の行方あり       『家郷の霧』
  軒菖蒲は、家から邪気を除いたり火災を起こさないように端午の節句に菖蒲を軒に挿す
 風習である。西の方にゆく朝方の月を薄目をしたと擬人で形容した。昭和三十年作。
     後山の梅雨月夜なる青葉木莬     『椿花集』
  後山は山盧の裏の小さな渓流を隔てた雑木林を差す。月夜に青葉木莬が鳴いている。
 「後山」は他にも出てくるが、「ゴザン」あるいは「コーザン」と読むらしい。
 次に子息の死に遭った際(逆縁)の月の作品をいくつかあげる。
 次男・数馬病死に際しては、悲しみで俳句などとても詠めないが、俳句に生涯を賭けた身とし
 ては詠まざるを得ないとして、『白嶽』昭和十六年に「病院と死」と題する大作七十五句を載
 せている。この中から月の出る句を三例あげる。月は悲しみの象徴。
     楡青葉窗幽うして月も病む           『白嶽』
     夏月おち欷歔のメロディー部屋の扉に      『白嶽』
     夏月黄に昇天したる吾子の魂          『白嶽』
  また長男・聡一郎(俳号・鵬生)の戦死に際しては、昭和二十二年・鵬生抄の内に
     盆の月子は戦場のつゆときゆ          『雪峡』
 がある。この句に限らず一連十四句の作品は心情に忠実ながら、平凡な表現に留まっている。
 悲しみの極みにあっては、慟哭の表現などとてもできないのだ。正直なのだ。