目を詠う(5/6)
病む吾子に年祝(ほ)ぎの箸をもたしめてまなこぬれゆくわれも吾妻も
木俣 修
両の眼の盲(し)ひるくらやみいかなれば子は父よりも罪ふかしとぞ
前登志夫
いたむ目に冷たき指をあてて思ふいひわけはきかれぬかもしれぬ
石川不二子
眸(まみ)とぢて想へば易し氾濫も葦を超えゆく白濁として
安永蕗子
目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓掘りはじむ
寺山修司
めつむれば目の奥ともる光ありひとひたっぷり桃見しからに
晋樹隆彦
めつむればあを木魂せる空澄みて吉野の城の滅びたるはや
喜多弘樹
くだもの屋のあかりのなかに呆然と見開かれたる瞳を想う
穂村 弘
前登志夫の歌は、両目を病んで見えぬ子供を憐れんで、子供に父の自分より深い罪などない。なのに自分の目は健全で子供は目を病むのか、と神仏世間に不満をぶつけている。
安永蕗子の歌は、昭和28年の西日本水害特に熊本県を襲った白川大水害を踏まえてのものだろう。
喜多弘樹の歌にある「吉野の城」とは、奈良県吉野山一帯にある中世山城のことで、別名を、金峯山城(きんぶさんじょう)と言う。もともと吉野山の尾根は、細長く、両側は急峻な斜面であるため、天然の要害となり、山城としても使えた。
穂村弘の歌は分かりにくい。くだもの屋の主人か店員を思えばよいのか、並べられている果物の中のあるものを思えばよいのか。後者の比喩的な情景と解釈したい。